▼詩人中原中也は29歳のとき、まだ幼かった子どもを亡くしている。大変な愛情を注いでいたようで、悲しみは相当に深かったらしい。詩集『在りし日の歌』はその子、文也にささげたものだ。収められた1編の詩「また来ん春…」はこう始まる。「また来ん春と人は云ふ/しかし私は辛いのだ/春が来たつて何になろ/あの子が返って来るぢやない」。暖かな春も、中也の心を浮き立たせてはくれなかった。
▼中也に限らず愛する人を突然失うことは、生きながら身を焼かれるようなものではないか。事件や事故の遺族らを見ているとそう思う。岩盤が崩落してトンネルを突き破り、路線バスと乗用車の20人が犠牲になった古平町の豊浜トンネル事故から、きょう10日で20年である。不幸にも朝の通勤通学時間と重なっていたため、子どもたちも多く命を落とした。20年は短い年月でないが、残された家族にとっては時間など無意味だろう。7日には遺族らが慰霊碑の前で法要を営んだそうだ。
▼この悲惨な事故はトンネル防災や岩盤崩落対策の転換点になった。全国で緊急点検、崩落対策がなされ、予測技術の開発も進んだ。道路は無事に通れて当たり前とされるが、それを実現するのは容易でない。起こらなかったことは評価されることもないが、豊浜後に注力した防災対策で事故が防がれ、救われた命もあっただろう。「あの子が返って来る」ことはないが、これ以上悲しむ人は増やさない、道路事業に携わる者たちにとっては、そう肝に銘じ続けた20年だったに違いない。