▼文章をパソコンなどのキーボードで打つようになってから、手書きでは漢字を書けなくなった、と自覚している人は多いようだ。人ごとでないのだが、大体の形は分かるものの、実際に書いてみると記憶が曖昧なことに気付く。あれ、どうだったか…。内心、焦りを感じることもしばしばである。便利さに甘えて、脳が楽を覚えてしまったのだろう。とはいえこれからは全て手書きでというわけにもいかぬ。
▼日頃そんなことを考えているからか、10日付読売新聞記事に目が留まった。文化審議会漢字小委員会が、手書きの漢字は細かな違いを許容するとの指針案をまとめたというのだ。例えば「天」の上の横線は下の横線より短くて良いし、「木」の縦線はとめてもはねても、また「矢」の右下はとめてもはらっても、正しいという具合。小学生のころ、「とめはね」に苦労していたことを懐かしく思い出すが、今どき重箱の隅をつつくような指導は漢字離れを進めるだけということだろう。
▼指針は必要以上細部にこだわるのをやめ、親しく使える方向を示すとのこと。ただ、漢字は細部にも意味があると反論する人もいよう。詩人大岡信も1975年の随筆「漢字とかなのこと」にこう書いていた。「『道德』の『德』から一本棒が抜け落ちて戦後の『道徳』ができた。それをやった文部省が、あらたに道徳教育の必要を説いている」。字を損傷すると日本人の感性も傷を負うというのである。いろいろ意見はあるものだ。ともあれ、目下の難題は漢字を忘れないことだが。