▼大正デモクラシーを先導した人物の一人、東京帝国大学教授の吉野作造は信念の人であると同時に、誰とでも仲良くなれる温和な人でもあったようだ。日本刀を持ち、殺気立って乗り込んできた青年が話を聴いて心服し、最後には弟子入りを希望したことまであったらしい。故郷の宮城県大崎市古川にある吉野作造記念館HPで紹介していた。その吉野が「民本主義」を提唱して、ことしで100年になる。
▼政治を「一般民衆の為め」とした民本主義の主張は、大変な議論を巻き起こしたそう。まだ特権階級が幅を利かせていた時代である。理論を説いた論文「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」は1916(大正5)年、『中央公論』1月号で発表された。同誌は100周年を機に、ことし1月号でその全文を復刻掲載している。吉野がこの中で特に大事としているのが「我に民選議員を與えよ」の主張だ。普通選挙の実現には、一般の政治参加が不可欠だったのである。
▼国会で今、議論しているのがまさにその政治参加の仕組みだ。衆院選挙制度改革で、定数配分をどうするか調整を進めているのである。ただ少し気になるのは定数削減にばかり目を奪われ、国政と遠くなる地域が出てくること。それは例えばTPP対策を練る上でもマイナスになろう。多少時間はかかっても地域の声が届く方策を探るべきでないか。最悪なのは党利党略だけで決着することだ。議員の立場は政治家のためでなく「一般民衆の為め」にある。吉野の言葉をかみしめたい。