▼米国の犯罪映画には必ずこんな場面がある。被告人「俺が一人でやった。誰の指図も受けてない」。検察官「黒幕はもう分かっている。ただ証拠がない。証言してくれれば君は早く刑務所から出てこられるし、その後の身の安全も保障する」。被告人は同席する弁護士の助言も得て「それなら…」。お決まりの展開である。初めて見たときは、米国では不正な取り調べが横行していると義憤を感じたものだ。
▼司法取引というのが裁判での正式な制度だと知ってからも、違和感は消えない。同じ思いを抱いている人は案外多いのでないか。犯罪事実よりも駆け引きが重視されるのかと。ところがその司法取引が2年以内に、日本でも始まることになりそうだ。衆院本会議で先週、刑事司法改革関連法が成立し、取り調べの録音・録画の義務化とともに、法制化されたのである。取り調べを可視化すると、人間関係を基にした供述が得にくくなるため、捜査の新たな武器として導入されたらしい。
▼つまり可視化により「かつ丼でも食うか。故郷の母親も泣いてるぞ」式のなだめすかしがやりにくくなるため、「刑を減免するから」といった取り引き条件を捜査過程で提示できるようにするわけである。まさか安易な取り引きに頼るばかりで、丁寧な捜査をなおざりにすることはないと思うが、犯罪も捜査も人間のすること。刑罰が軽減されるとなれば犯罪者は正直にもなればうそもつく。映画ならまだしも現実で義憤を感じさせる判例が生じないか。法の執行者は心すべきだろう。