価値は相対的なものだとあらためて考えさせられた。京都高島屋で一体12万円以上する限定人形100体が一人の男性客に買い占められた先月の一件のことである
▼その後ネットで再販されていると分かったため最初から転売目的だったとの見方が有力らしい。要はもっと高くても欲しい人はいたということだろう。人形の写真を見たが当方は興味がないため1円でも買わない。価値は人によって随分と違うのである。では、この6000円を国民はどう見るか。高い、それとも安い? 自民、公明の両党がカジノを含む統合型リゾート(IR)の入場料を1回6000円とすることで合意したそうだ。自民案の5000円に対しギャンブル依存症を懸念する公明は8000円以上を主張。結果、6000円で折り合ったのだとか
▼バナナのたたき売りじゃないんだから、と苦笑した人も多かろう。もっともどう設定しようとギャンブルに関心のない人は一銭も出さないし、依存症なら幾ら高くても払うに違いない。作家沢木耕太郎が若き日のカジノ経験を『深夜特急1』(新潮文庫)に記している。元来ギャンブルなどしない氏だが、マカオを旅した際、軽い気持ちでカジノに足を踏み入れたらしい
▼どうなったか。「五ドルで充分遊ばせてもらったのだからそろそろ切り上げて帰ろう。そうは思うのだが、意志とは反対に体がいうことをきかない」。瞬く間に数百ドルが消えたそうだ。依存症対策は入場料や回数制限だけで済むことではあるまい。軽く見ているなら、政府の価値も大いに下がることになろう。