▼江戸時代後期の儒学者で史家の頼山陽は母親思いの人だったらしい。「母を送る路上の短歌」にそれが見える。歌の一節に聞き覚えのある人もいよう。本来は漢詩だが読み下し文で紹介する。「五十の児に 七十の母あり 此の福 人間得ること 応に難かるべし」。京都で夏を過ごした母が広島に帰るというので山陽が途中まで送っていく。二人とも元気で旅ができるなんて何と幸せなことかというのだ。
▼平均寿命がまだ短かった時代である。70歳にして長旅に耐えられるくらいだから、よほど健康だったに違いない。山陽自身も既に50歳。母親と共に過ごせる日々は掛け替えのないものだったろう。傘寿、米寿、白寿と日本人は昔から長寿をおめでたいこととして祝ってきた。ところが悲しいことに現代はそうとばかり言っていられないようだ。高齢者介護にまつわる胸の痛む事件が相次いでいる。つい先日も望みを失った親子3人が埼玉県の利根川で入水心中した事件の判決があった。
▼47歳の娘が殺人罪に問われたのである。74歳の父と一緒に81歳になる認知症の母を介護していたが、病気で生きる気力をなくした父から「3人で死んでくれるか」と頼まれ、心中を決めたという。父母は死亡したが娘は死に切れなかった。判決は懲役4年。セーフティーネットから漏れ、孤立を深めながら過酷な介護に苦しむ家族が今、増えているらしい。長生きをした結果、「ありがとう」でなく「ごめんね」で人生を終わらせねばならないとしたら、その現実のなんとむごいこと。