▼小説家の山本一力さんは、エッセーに「五輪にまつわる思い出は、それぞれが四年の時空を飛び越えて、私の中に収まっている」(『くじら日和』文春文庫)と書いていた。東京開催の1964年には高校で「東京五輪音頭」の踊りを練習し、ミュンヘンの72年には旅行会社の添乗員としてパリにいて、選手村がテロに襲われたと聞き不安で仕方がなかったそうだ。五輪が記憶の糸口になっているのだろう。
▼言われてみれば確かに筆者も、72年の札幌冬季五輪での笠谷幸生選手ら日の丸飛行隊の活躍を思い出すと、同時に小学生だった当時の楽しかった情景があれこれ浮かんでくる。五輪と自分の思い出が結び付いている人は、案外多いのかもしれぬ。あらためて振り返ると、72年ごろは今に比べて社会に勢いがあり、みんな元気だったとの記憶もよみがえる。それもそのはず、最近再び注目されている故田中角栄氏が『日本列島改造論』を発表し、総理大臣の座に就いたのも同じ年だった。
▼角栄氏は国土の均衡ある発展を目指し、日本列島を高速道や新幹線など高速交通ネットワークでつないでいったのである。強力な政治主導で論を現実に変えた。良いことばかりではなかったろう。また、いつの時代にも同じ手法が通用するわけでもあるまい。ただ社会には、夢や希望があったのでないか。さて10年先、50年先に若者たちが今回のリオ五輪を振り返ったとき、何が頭の引き出しから出てくるだろうか。選手の健闘ぶりの他に思い出せるのが時代の閉塞感だけなら寂しい。