▼後のノーベル物理学賞受賞につながる中間子理論を打ち立てたとき、湯川秀樹博士はまだ28歳だった。その当時はこんな感慨を抱いていたという。「坂路を上ってきた旅人が、峠の茶屋で重荷をおろして、一休みする気持」。『旅人 ある物理学者の回想』(角川ソフィア文庫)に記している。大きな成果を上げ、達成感もあったのだろう。ところがそれからの年月には、少し悲しみも混じっていたらしい。
▼42歳で日本人初のノーベル賞に輝いた栄光の人生の、一体どこに悲しみがあったのか。それは「いちずに勉強していた時代の私が、無性になつかしい」、そして「勉強以外のことに時間をとられてゆく」ところだったそう。21日に閉会したリオ五輪で4連覇を逃したレスリング女子53㌔級の吉田沙保里選手も、金メダルに向けいちずに練習していたころが、一番充実して競技に向き合えていたのでないか。銀を獲得したのに泣きながら謝る姿を見ているとこちらまで胸が苦しくなった。
▼どれだけ余分なものを背負い込んでしまっていたのだろう。金が当然という重圧の上に、日本選手団の主将としての責任。レスリングのこと以外に時間を使わねばならないことも多かったに違いない。北海高校の大西健斗主将は高校野球今大会決勝で惜しくも敗れた後、「最高の夏だったと思います」と爽やかに語っていたが、吉田選手にもいつかそう言える日が来るといい。われわれにとっても心躍る最高の夏だった。それは吉田選手を主将とする選手たちの大活躍のおかげである。