明治期に札幌農学校で学んだ思想家・文学者の内村鑑三は、ある希望を抱いていたそうだ。著書『後世への最大遺物』(1894年)に、こう記している
▼「私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたい」。死んでただ天国に行くのではなく、生きた証しを何か残したいと考えていたらしい。誰しも多かれ少なかれ願うことではないか。「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」のことわざもある。つまるところその人の生きたありのままの姿が美しければ、黙っていても後世への贈り物になるということだろう。鑑三も殊更の評価や名誉を求めてはいなかった
▼そんなことを思い出したのも、登山家の田部井淳子さんとミスター・ラグビーの平尾誠二さん―二人の人物が最近、相次いで世を去ったからである。分野は違えどそれぞれが、道なき道を切り開き後に続く者たちに夢という大きな贈り物を残していったパイオニアだ。田部井さんは女性として世界で初めてエベレスト登頂を果たした人である。がん発見後も山登りを続け、東日本大震災の応援に、高校生と富士登山にと人々を励ますことに力を尽くした
▼平尾さんは英雄だ。現役時代は弱小チームを全国制覇させ、引退後は卓越した指導力で世界と戦える日本ラグビーをつくり上げた。それが多くの人を勇気づけた昨年のワールドカップでの日本の活躍につながっている。天国に行くのが早過ぎたのではないか。贈り物を置いて往くのはまだ先でよかった。