仙台地裁が出した原告側勝訴の判決を聞き、どうにもやるせない気持ちにとらわれている。東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小児童の、23人の遺族らが市と県を相手取って起こしていた訴訟のことである
▼大切なわが子を失ったのだ。事実を知りたいとの遺族の切実な思いはよく分かる。なぜ校庭で無為に時間を過ごした揚げ句、すぐ横の裏山でなく危険な堤防近くの高台にわざわざ逃げたのか。教職員たちはそのとき、どう行動すべきか悩んだだろう。ただ、根本のところで、「津波がここまで到達することはない」と考えていたに違いない。誤った前提からは、誤った対策しか出てこないものだ。巨大な津波が襲ってくるときに、津波に向かって逃げようとしたのだから、残念ながらそういうことだったろう
▼一方でそれは、教職員が児童を精いっぱい守ろうとしていたことと矛盾しない。助けられないと悟ったときの無念は、察するに余りある。最後まで救おうともがいたのではないか。教職員は限られた情報の下で、数ある選択肢から生き残る可能性の高い「裏山に逃げる」判断をしなければならなかった。それができなかったのは過失である。今回、地裁が下した「結果回避義務違反」とはそういうことだろう。何か苦渋の判決のようにも見える。それでも少しは遺族が一歩を踏み出す機会になればいいのだが
▼巨大な津波は小さな人間の懸命の行動を簡単に踏みにじり、重大な結果をもたらした。その上まだ残された者同士が争わねばならぬとは。どうにもやるせない。