アイヌ民族が最も恐れていたことは飢饉(ききん)だったという。アイヌ文化研究の第一人者藤村久和氏がおばあさんたちに聴いた話を『アイヌ、神々と生きる人々』(福武書店)に記していた
▼そのおばあさんたちによると爆弾は逃げれば当たらないし、病気も全部が死ぬわけではない。ところが「飢饉だけは、どこへどう逃げても自分のお腹が二十四時間責められるので、これほど恐ろしいことはない」のだそう。ウバユリのでんぷん、干しザケ、山菜の塩漬け。こういった食料の保存技術が発達し、伝承されてきたのにはそんな事情があったらしい。山菜は旬の食べ物ではあるが、備蓄用としても重宝されていた。和人も本道に暮らすようになってから、食料保存に関するアイヌの知恵にずいぶん助けられたと聞く
▼現代はさすがに飢饉の心配はない。それでも多くの人が春になると、山菜を求めて山へ向かう。食べ切れない分は塩漬けにして瓶詰め。かくして物置には何年前のものかも分からぬ容器が並ぶ。飢饉はなくとも気掛かりはある。遭難だ。道迷い、事故、疲労。山に入ればどこに危険が転がっているか分からない。道警によると山菜採り遭難は増加傾向にあり、昨年は108件に上ったそうだ。月別には5、6月が飛び抜けて多く、山菜別では全体の半分をタケノコが占める
▼ということは、まさに今頃が要注意である。この週末に出掛けようと考えている人もいるのでないか。決して無理はしないことだ。もし山に行けなくとも、物置に分け入ってみれば極上の年代物が見つかるかもしれぬ。