先日、道立文書館が道庁赤れんが庁舎で開いていた「百年写真―明治の青年、柳田一郎が撮りためた『日常』」を見てきた
▼根室の裕福な家に生まれた青年が、当時まだ珍しかったガラス乾板の小型カメラで写した、遊学先の東京や故郷の風景を集めた写真展である。街並みや行事、人々、いろいろな「日常」が切り取られていた。意外だったのは、青年たちが旅行のほか海水浴やサイクリングにも興じていたことだ。明治の青年は武骨で、遊びになど見向きもせず学問に打ち込んでいるものだと勝手に思い込んでいた。よく考えてみればそんなはずはない。今も昔もこの年頃は遊びたい盛りではないか
▼もっとも柳田青年は裕福だから、普通の若者と暮らしぶりは同じであるまい。ただ、心の中まで違ってはいなかったろう。違ったのは家に不自由なく学べる財力があったこと。一方で、学びたいのに、お金がないためあきらめざるを得ない青年は昔も数多くいた。彼らをどう助けるか。今も変わらぬ課題である。それを解決に導く手立ての一つとなる法律が最近成立した。「休眠預金等に係る資金の活用に関する法律」がそれである。金融機関の口座で10年以上、預金も引き出しもないまま忘れ去られたお金を、子どもの貧困対策や若者の支援に回そうというのだ。毎年500億円以上が活用できるという
▼金融機関の奥で眠りこけているお金を目覚めさせ、世のため人のために働いてもらおうというのだから名案ではないか。これで困窮する子どもや若者が、人並みの「日常」を取り戻せればいい。