こう寒さが厳しいと、恋しくなってくるのが鍋料理だろう。見た目の華やかさもさることながら、ぐつぐつ煮えた頃合いを見計らってふたを開けたときの、香りと湯気といったら。何とも幸せな気分にさせてくれるものではないか
▼肉と魚、野菜や豆腐。好みの食材を適当に切って鍋に入れ、しばらく煮れば出来上がりの簡単さも魅力である。とはいえ必ず出てきて単純なことを難しくする鍋奉行には少々閉口するが。鍋がこれほど愛されているのは、おいしいからだけではなさそうだ。練り物食品大手紀文のHPで近茶流宗家の柳原一成氏が解説していたのだが、歴史をたどれば土器とほぼ同時に誕生したという。つまり縄文期からあったわけで、もしかするとあの湯気が遺伝子に刻まれた記憶を呼び覚ますのかもしれぬ
▼その土地ならではの食材と結び付き、独自の食文化と郷土意識を形づくっている点も見逃せない。秋田なら米できりたんぽ鍋、広島ならカキで土手鍋、本道ならサケで石狩鍋が代表格だろう。家族でも、友人でも、同僚でも、一つの鍋を分け合って食べれば親近感が増す。「大鍋を囲んでみたき夜がある」五島治人。昨今は一人鍋も多くなってきたと聞くが、やはりわいわい大勢で囲む方がしっくりくるのではないか
▼そういう鍋が人々の生きる力になった時代もあったのである。鍋一つ抱えて開墾に入った北海道開拓民がそうだ。あれこれ書き連ねていたら紙数が尽きてきた。続きは今晩あたり、皆さんそれぞれで鍋をつつきながらどうぞ。今週末もかなり冷え込むらしいから。