司馬遼太郎が「街道をゆく」シリーズの『オホーツク街道』で、地元の流氷話を紹介していた。こんな内容である
▼中学校の教頭が流氷に乗ったところ、突然岸を離れて沖へ流れ出した。それに気付いた同じ学校の事務職員が勇を奮い、氷の海に飛び込んで救ったというのだ。後で事務職員はこう語ったそう。「先生は全職員の給料を持っておられた」。司馬さんは「おもしろすぎるから、作り話かも」と記していた。美しく神秘的な流氷には思わず乗りたくなるが、実は大変な危険もあると教えるための話らしい。一方で流氷は豊かな栄養をもたらし海洋生物を育む。それが陸上生物の営みをも支え、全体として独特の生態系をつくり上げているそうだ
▼知床が2005年、世界自然遺産に登録されたのもそんな流氷の役割が評価されてのこと。きのうは道が設けた初めての「世界自然遺産・知床の日」だった。多くの記念行事もあり、価値や保全、適正利用の在り方をあらためて考える日になったのではないか。知床と聞くといつも思い出すことがある。それは筆者が羅臼岳に登ったときのこと。途中、つえを突いて一人きりで登ってくるお年寄りと出会った。話すと80歳を超えているという。「昔、妻と一緒に来たこの山の自然が忘れられなくて」再び訪れたそうだ。奥さまは随分前に亡くなったのだとか。当時は二人で自然を愛でながら歩いたに違いない
▼流氷、登山、動植物。一人一人、心の中に自分だけの知床を持っている。世界にもまれな自然あればこそだろう。一人一人、守る意思も持たねば。