お子さんのいる方なら、ああそんなこともあったねとほほ笑ましく思い出されるのではないか。親が見ていない間に、幼児が物を壊してしまったときのことである
▼それと気付いて子どもをただすと、自分は知らないとの返事。証拠隠滅が中途半端なため誰の仕業かは見え見えなのだが、正直に言えば叱られると思うのだろう、何とかうそをつき通そうと頑張る。その後は怒ったり泣いたり諭したりとしばらく大騒ぎ。幼児のことゆえ、うそといってもさほどの罪はない。親にしてみればかわいくて笑ってしまうくらいの話だろう。ところで、国連平和維持活動(PKO)に関するおとといの防衛省発表を聞いて、多くの人が思ったのはこういうことでないか。「子どもじゃないんだから」
▼これまで廃棄したと説明していた南スーダン派遣中の陸上自衛隊部隊が作成した日報について、実は保管されていたことが分かったというのである。問い詰められるのが嫌で、うそをついて隠そうとしていたとしか思えない。日報に「戦闘」の文字が幾つも並んでいるのが都合悪かったのかもしれぬ。戦況によっては参加原則を満たせなくなり、撤退論も再燃しかねない。きのうの国会での稲田防衛相の「戦闘」解釈も神学論争に近く、要領を得なかった
▼現在の世は高度情報社会である。1カ所だけふたをして隠し通せるわけもない。今やPKOは多くの国民が支持し、自衛隊員は国際貢献のため不慣れな国で奮闘している。そこにうそやごまかしがあってはいけない。透明性を確保し堂々と派遣するのが筋だろう。