徳川幕府のキリシタンに対する弾圧は苛烈極まりないものだったという。幕府が直轄領に禁教令を出した慶長17(1612)年頃の様子を田中貢太郎が小説に書いている。その名も「切支丹転び」
▼それによるとまず疑わしい者を全て捕縛し、こもで巻いて河原に山積みにする。そうしておいて鉄棒で激しく殴り、改宗の意志ある者は「転がれ」と脅したそうだ。転がらなかった信者には、火あぶりの刑が待っていた。江戸時代とはいえなぜそこまで残酷なことを、と考えるのが今なら自然だろう。島原の乱に関する論考もある坂口安吾はこの辺の事情について『安吾新日本地理』で、弾圧は当然の帰結と説いている
▼天下を取ったばかりの家康は、支配の妨げになりそうなものは全て排除した。徳川ではなく神に信を置くキリスト教もその一つ。故に「論争もいらん。理由も不要。ただ断乎たる禁令と、その徹底的な実施あるのみ」と断を下した。これでは「信者は地下にくぐらざるを得ん」。安吾の結論である。以来200年以上、徳川の目をかいくぐって信仰を伝えてきた人々の歴史を伝える「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が、世界文化遺産に登録されることが決まったそうだ
▼信者は寺社に聖画を置いたり貝殻を聖母に見立てたり、独自の信仰形態を生み育ててきた。12構成資産のうち大浦天主堂と原城跡を除く10遺産が集落というのも珍しい。それだけ生活に根差していたわけだ。ちなみに家康の霊廟・日光東照宮も1999年に世界文化遺産登録されている。文化とはなかなか奥深い。