他に類を見ない数々の童話で名を知られる宮沢賢治は、盛岡高等農林学校(現岩手大農学部)で学んだ優秀な技術者でもあった。詩集『春と修羅』の「序」のこんな一節からもその片りんがうかがえる
▼「これから二千年もたったころは―/気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を発掘したり/あるいは白亜紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を/発見するかもしれません」。空に化石とか古い地層に透明人間の痕跡とか、ばかげた話のようだが必ずしもそうではない。事実、人類は今、宇宙に手を伸ばす。19世紀にはそれも夢物語だった。賢治は技術が常に進歩するものだと言いたかったのだろう
▼この詩を読むたび、放射性物質を安全に処理する技術も早く開発されないかと願わずにはいられない。大阪高裁が高浜原発3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定を取り消したのに続き、広島地裁も、伊方原発3号機に対して出されていた同様の訴えを退けた。発端となった福島第1原発は、よろいかぶとで身を固めながら、ズック靴で海辺の戦いに臨んでいたようなもの。高浜や伊方は新基準でその弱点を克服したのだから再稼働の決定は合理的だろう
▼住民の心配はもっともだが、これが原発依存度を下げ最適な電源構成を模索する政府方針を逆行させるとは考えにくい。放射性物質の危険を低減する技術を開発するまでの、いわば時間稼ぎとでもいえようか。このわずかな猶予の間に、気圏の中からでもどこからでも有効な技術を発掘しなければ。