「本屋大賞」でことし2位となった『みかづき』(森絵都、集英社)は、戦後、自分の頭で考えられる子どもを増やしたいと塾経営に乗り出した夫婦とその家族三代の物語である
▼塾教師は子どもに火を付けるマッチのようなもの―。「燃えつきて灰になったとしても、縁あって出会った子たちの中に意義ある炎を残すことができたなら、それはすばらしく価値のある人生じゃないか」。そんな言葉が強く印象に残る。この人物も、まさに同じことを考えていたのではないか。本道に農業ばかりか学問や開拓者魂の炎を残していった札幌農学校初代教頭ウィリアム・スミス・クラーク博士のことである。8カ月の教授生活を終え離札したのが、140年前のあす16日だったそうだ
▼別れ際、島松駅逓所で馬上から学生たちに呼び掛けた「ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志を抱け)」のメッセージ。今も連綿と語り継がれるこの言葉に背中を押され、人生の新たな挑戦に踏み出した人も多くいるに違いない。博士の晩年は不遇だった。新たな大学の設立計画は頓挫し、鉱山経営にも失敗。病に苦しみながら失意のうちに世を去ったという。ただ自らの人生を振り返り、札幌の8カ月間は最良の日々だったとよく語っていたそうだ
▼森さんの小説の題名『みかづき』は、「満月たりえない途上の月を悩ましく仰ぎ、奮闘を重ねる」教育者を象徴したもの。博士自身の追い求めた月もついに満ちることはなかったが、140年後の本道を見れば、満月とまではいかなくとも少しは満足してくれるのでないか。