戦前の詩壇で活躍した余市出身の詩人に左川ちかがいる。病気のため24歳の若さで世を去ったとき、萩原朔太郎が「女流詩人の一人者で、明星的地位にあった人であった」と早すぎる死を悼んだという
▼代表作の「緑」は20歳のころに書かれた詩だが、中にこんな一節があった。「視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉じたりする/それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる/私は人に捨てられた」。言葉通りの解釈なら崩れかかる「彼ら」とは山の「緑」なのだが、当然そればかりではないはずだ。若い心は鋭敏である。自分を取り巻く人々や社会といったさまざまなものがその時、詩人の心象風景には去来していたに違いない。何せ最後に「私は人に捨てられた」との重い一言が続くのである
▼2015年にいじめが原因で自殺した茨城県取手市の中学3年生中島菜保子さんも命を絶つ直前、やはりそんな絶望感に陥っていたのだろう。学校という閉じた世界の中で、どれだけ苦しんだことか。問題は不幸がこれで終わらなかったことである。本人の日記や同級生の証言があったにもかかわらず、市の教育委員会は翌16年、いじめに該当せずと決定を下したのだ。ご両親にしてみれば、娘が二重に「人に捨てられた」ようなもの
▼遺族の訴えもあり、市教委は最近になってようやく昨年の決定を撤回し、いじめの疑いを認めたという。ところが「いじめに該当せず」の決定に至る経緯をつまびらかにするつもりは全くないらしい。どうやら教育委員会自体も崩れかかっているようである。