その文章からは、芳ヶ江国際ピアノコンクールでの優勝を目指して競い合う若手ピアニストたちの喜びや苦悩が痛いほど伝わってくる。といってもこれ、本当の話ではない
▼ことし直木賞を受賞した恩田陸さんの小説『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)である。登場するのはピアノ界のサラブレッドや一度は夢を諦めた青年、母の死の衝撃で長らく演奏ができなかった少女。皆それぞれ、絶対に負けられない理由を抱えている。もう一人、物語に大きなうねりを起こす人物がいる。それは風間塵という16歳の青年。養蜂家の父と共に各地を転々としているため家にはピアノもないのだが、ひょんなことから音楽家ホフマンに天賦の才を見いだされ、圧倒的な技術と表現力を身に付けるのである
▼将棋界に大きなうねりを起こしながら快進撃を続ける藤井聡太四段を見ていて、この風間青年を思い起こさずにはいられなかった。天才と呼んで差し支えあるまい。何せ小4で入門したその日に師匠の杉本昌隆七段を破ったと聞く。プロ棋士とはいえまだ14歳、中学3年生である。多感な年頃だろうに超が付くほど熱心な研究を毎日しているらしい。現在、公式戦歴代2位の25連勝中だ
▼恩田さんは小説で師匠ホフマンに、風間青年は「ギフト」だが「災厄」にもなると語らせていた。決めるのは皆さんだ、とも。世間の浮かれ騒ぎを見ていると、さもありなん。実力は非凡でも14歳である。絶対に負けられないとの重圧は一局ごと増していよう。天からの贈り物を台無しにしないためにも、もう少し静かに見守りたいもの。