名前はある「もの」を他と区別するための記号にすぎないのだが、名を付けた瞬間にその「もの」と結びついて特別な意味をもたらすから奇妙である
▼詩人大岡信もその奇妙な作用に気付いていたのだろう。作品の一つに「地名論」と題する詩がある。中にこんな一節があった。「燃えあがるカーテンの上で/煙が風に/形をあたえるように/名前は土地に/波動をあたえる/土地の名前はたぶん/光でできている」。なるほど地名もそうか。確かに名もなき見知らぬ土地はえたいが知れず印象も不気味になりがち。ところが名を付けた途端に何か理解できた気になるものである。当時多くの人にとってこの北の大地を「北海道」と名付けることにも、そんな効用があったに違いない
▼おととい、札幌市内でその命名150年を記念する式典が開かれた。テーマは「先人に学び、未来へつなぐ」。会場ではアイヌ民族と道内各地の伝統芸能が交互に披露され、お迎えした天皇皇后両陛下も盛んに拍手を送られていた。これを機にあらためて命名の経緯に触れた人も多いのでないか。ご存じの通り「北海道」は松浦武四郎が明治政府に提案した「北加伊道」からきている。「北」と「道」は和語だが「加伊」はアイヌ語で「この地で生まれたもの」の意
▼つまり「北海道」の名前はその始まりから二つの要素を組み合わせ調和させる理想を内在していたのである。150年前に針路を示す羅針盤を渡されていたというわけだ。どうやら詩人の言うことに間違いはなかった。「土地の名前はたぶん/光でできている」。