英米文学者上岡伸雄氏はエッセイ「昭和二十年夏、父の記憶」に父正義さんが1945年、海軍予備学生として広島の潜水学校に入ったころの出来事を記している
▼3月に東京を出た正義さんは瀬戸内海にある学校へ向かう前、広島市中心部の知り合いの家に一泊した。幼い子どものいる若い夫婦の家である。夜中、夫婦のひそひそ話が聞こえてきたそうだ。「兵隊にとられて弾よけにされる。上岡さんは可哀想に」。事実、正義さんが受けたのは敵艦への特攻訓練ばかり。ところが8月6日、広島方向にすさまじい爆発を見る。終戦となり帰郷する途中、広島を通ると一面がれきの原。若夫婦と子どもも一瞬にして消えてしまったことを後から知る
▼6日の広島、きょうの長崎と、ことしも原爆慰霊の日が巡ってきた。その日、被爆地となる両地域でほとんどの人は、いつもと全く変わらぬ日常を生きていたのである。若夫婦と子どももそうだったに違いない。市民らが差し迫った危機に気付けるはずもなかった。「原爆忌いまも思ひはとどかざる」内野光子。日本が世界で唯一の被爆国になってことしで73年。残念なことに地球上から核兵器が無くなる気配は少しもない。むしろ核保有国たらんと野心を燃やす国が後を絶たないのが現実である。北朝鮮の非核化もまるで進展がない
▼ただ、この不条理にひるんではいられない。正義さんをはじめ多くの人が残した惨禍の記録と記憶を、世の人々に伝え続けるのが日本の使命だろう。果てしもなく砂をかむような戦いだが、道半ばで投げ出すわけにはいかない。