札幌農学校で2代目教頭を務めた米国の土木技術者ウイリアム・ホイラーは、本道気象観測の父でもあった。氏が開拓使から「荒寒のやせ地で開拓するには、気象観測が必要」と要望を受け、1876(明治9)年に札幌区東創成通(現中央区南2東1)で観測に当たったのが始まりだそう
▼観測開始は日本で3番目。明治政府はそれだけ本道農業の成功に賭けていたわけである。「札幌管区気象台の歴史」に学んだ。氏は79(明治12)年12月に任期を終えて帰国した。ただその後も気象台の前身札幌測候所を中心に観測と研究は続けられ、92(明治25)年、とうとう天気予報を発表できるところまでこぎ着けたのだとか。当時は道庁の塔の上に旗を掲げて周知を図ったらしい
▼札幌の人々は流れる汗をぬぐいながら旗を見上げたのではないか。どうやらかなり暑い年だったようだ。札幌もおとといまで真夏日が4日続いていた。7月上旬時点でのこの日数は、天気予報が始まった92年以来、125年ぶりだという。札幌だけでなく旭川や北見、帯広といった主要都市も連日厳しい暑さに見舞われている。10日は全道173の観測地点のうち実に74地点で真夏日を記録した。明治中期と同じ経験などめったにできないとはいえ、正直に言って迷惑な話である
▼「炎昼のこもれば病むと異ならず」大野林火。しつこく続く暑さのため、熱中症が原因と思われる救急搬送が相次いでいるそうだ。中にはバテて体力を落としている人もいよう。天気予報に罪はないが、つい恨めしく眺めてしまうきょうこのごろである。