先週、105歳で亡くなった聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは、晩年、「しっくりなじむことば」に出合ったという。アウシュビッツ強制収容所での日々をつづった『夜と霧』の著者フランクルのこんな言葉である
▼「しあわせはけっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません。それは結果にすぎないのです」。著書『生きかた上手』(ハルメク)に記していた。日野原先生は人生を顧みて、確かに幸福は「結果として与えられるにすぎない」とふに落ちたそうだ。幸福とは心の状態を指し、意志によって獲得できるものでないと分かっていたからである。その上で童話『青い鳥』を引き、外を探すのでなく「心の内にある」幸福に気付くべきだと説いていた
▼相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害された事件から1年が過ぎた。残酷な所業で命を奪われてしまった入所者たちの心の内にも、それぞれその人なりの幸福があったに違いない。植松聖被告はそれを想像しようとも思いやろうともしなかった。もっとも、かたくなな偏見と差別に覆われた目に入所者の心の内にある幸福が見えたはずもないが
▼先生はこうも強調していた。「異質なものが混在するから、文化は成熟し、継承されます。類で群れ合って楽を求めているかぎり、社会に、未来を切り拓くような力がみなぎることはありません」。苦労はあっても互いの違いを認め、補い合って生きるから社会は進歩するということだろう。被告のような独善は誰も幸福にしない。