詩人石垣りんの作品に「祖国」がある。といっても祖国への言及は一つもなく、上高地登山を語るばかりなのだが
▼例えば登りながらのこんな想像。「今きた道に/もし、ある権力が番人ひとり置いて/『ここよりはいるべからず』と/立札一本立てたとしたら…」。さてどうなるのか。人はその狭い場所で身動きが取れなくなり、「自分の可能を/ひろい空と/眺望のある生を忘れ/卑屈に、不幸になるであろう」。察しのいい方はすぐお分かりになったのでないか。実際の登山について書いているようでいて、実はどこかの「祖国」で知らぬ間に選択の自由を奪われた人の末路を予言した詩である。沖縄県知事選で野党の支援を受けた玉城デニー氏が当選したの見て思い出した
▼失礼ながら世論調査の政党支持率からも分かる通り、国政ではほとんど存在感のない自由党の衆院議員だった玉城氏である。はたから見ると当選は意外な気もするが、政府が自由を制限することに怒りを抱く県民が多かったのだろう。普天間飛行場の辺野古移設では、沖縄のことなのに当の県民がその問題から締め出されている。政府の「ここよりはいるべからず」の立札のためだ。県民は自分の家で他人に指図されるような違和感を覚えていたに違いない
▼石垣りんは詩の最後にこう書いた。「もし立札を立てる者があったら/それはぬきとろう/おそれずに/必ず/ぬきとろう」。玉城氏の当選もこれだろう。県民は卑屈も不幸も拒絶した。日米安保は国の専権事項との理が政府にあるとしても、立札頼りはもはや通用しない。