往年のファンはご存じだろう。超人的伝説を数々持つブルース・リーは「ワンインチパンチ」も得意としていた。中国武術で「寸勁(すんけい)」と呼ばれる技である
▼パンチを打つ場合、通常は拳を一度後ろに引き反動や回転力を利用するが、ワンインチパンチは対象と接した状態から一気に力を開放する。予備動作なしで拳が繰り出されるため、相手にしてみれば気付いたときには既に吹っ飛ばされているわけだ。レスリング女子の生きた伝説、吉田沙保里選手の「高速タックル」を見るたび、そのブルース・リーの技を思い出していた。やはり組み手争いから予備動作なしでタックルが放たれる。相手選手にしてみれば、気付いたときには体をつかまれ、次の瞬間にはもう転がされている。そんな感じでないか
▼その雄姿を公式試合で今後見ることができなくなるとは寂しい。吉田選手がおととい、ツイッターで現役引退を発表した。「33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断した」そうだ。アテネ、北京、ロンドンの五輪と世界選手権合わせて16大会連続世界一に輝いた名選手である。テレビ番組にも度々出演し、飾らぬ明るい人柄でお茶の間を湧かせた。まさに国民栄誉賞にふさわしい、多くの人に愛された人だろう
▼記憶に新しいのは先のリオ五輪で金メダルを逃した直後、泣きながら「ごめんなさい」と謝った場面である。そんな必要は全くなかったのに。今私たちが言いたいのはこういうことだ。長い間素晴らしい試合を見せてくれて、そして応援させてくれて「ありがとう」。