平安期の歌人在原業平に一首がある。「つひにゆく道とはかねて聞きしかど きのうけふとは思はざりしを」。いつか必ず自分にも訪れる運命だとは分かっていたが、まさかそれがこんなに早かったとは、というのである。病に倒れ体が弱ったときに詠んだ歌だという
▼大相撲の第72代横綱稀勢の里も、それと同じ心境だったのでないか。初場所4日目の16日、迷いを断ち切るように自ら現役の土俵人生に幕を引いた。けがが治らず8場所連続休場し、再起をかけて上がったこの初場所である。ところが初日から3連敗。今場所絶好調の御嶽海に出ばなをくじかれたのも痛かった。以前なら容易に割ることがなかった土俵際でねばれない。ふがいなさを一番感じていたのは本人だったろう
▼横綱としての実力は申し分のないものだった。相手力士に真っ向からぶつかっていき得意の左おっつけで圧倒する。派手さはないが見ている者をうならせるいぶし銀の強さがあった。ただ、けがには勝てなかったというわけだ。両国国技館で開かれた記者会見で稀勢の里は、「私の土俵人生において一片の悔いもございません」と胸を張った。その場面を見てすがすがしさに包まれると同時に、引退を決意するまでいかに悩み抜いたかが察せられて少々目頭が熱くなった。悔いを感じない人があえてその言葉を口にするはずはない
▼一人しかいない日本人横綱として一身に責任を背負い、皆の期待に応えようと全力を尽くした人だろう。「つひにゆく道」にはまだ続きがある。年寄「荒磯」として次代の横綱を育ててほしい。