一国一城の主であるがゆえの悲哀を描いた菊池寛の短編に「忠直卿行状記」がある。父の死により13歳の若さで家を継いだ越前少将忠直卿が乱心のため家国を失うまでを記した作品だった
▼この忠直卿、血筋も良く苦労知らずに育ったせいか、「高山の頂に生いたった杉の樹」のように「我意」が強い。「この世の中に、自分の意志よりも、もっと強力な意志が存在している事を、全く知らない大将であった」そうだ。気に入らないことを見聞きすると狂ったように暴言を吐き、周囲に当たり散らす。家老たちは「癇癪を知っている為に、ただ疾風の過ぎるのを待つように耳を塞いで俯伏しているばかり」だったという。今回の泉房穂明石市長の暴言騒動の報に触れその短編を思い出した
▼泉市長は道路拡幅工事に伴うビル立ち退き交渉が進展しないことに腹を立て、報告に来た市の職員に「(ビルに)きょう火付けてこい。燃やしてしまえ。損害賠償を個人で負え」などと口走ったらしい。忠直卿も真っ青である。死亡交通事故も起こる危険な箇所のため、市民の安全が脅かされ続けていることに我慢がならなかったようだ。聞けばこれまで庶民目線の先進的な取り組みを数々進めてきた実力派の市長であるらしい
▼いくら「われに正義あり」と思っても、また確かな実績があったとしてもあの暴言は許されない。菊池寛は先の小説に書いていた。家臣は「人間としての人情の代りに、服従を、提供しているだけである」。市長と職員が信頼でなく支配と服従の関係にあるとすれば、これほど不幸なこともない。