子どものころ、悪さをして父親によくたたかれたものだ。真冬の夜に外の石炭庫に放り込まれ、しばらく出してもらえないこともあった。今となっては笑い話だが当時はそれどころでない。怒られるのが怖くてたまらなかった
▼現在の感覚ならそれも虐待と呼ばれるのかもしれない。ただ、50年前はどの家も似たり寄ったり。世間的に問題になることはなかった。同じような経験をしてきた人も少なくないのでないか。肝心なのは叱るときに大人が限度をわきまえていることだろう。死ぬまで暴行を続けるなど常軌を逸している。千葉県野田市の自宅で小4の女の子が亡くなった事件。父親の栗原勇一郎容疑者が執拗(しつよう)に虐待した揚げ句、死亡させたとみられている
▼しつけの一環で悪いとは思っていないと供述しているようだが、限度もわきまえられぬ人間の何がしつけか。この件では父親の暴力を何とかしてほしいと先生に助けを求めた女の子の学校アンケートが市教委から父親に渡る失態もあった。普段きれいなことを言っている大人たちが一人も頼りにならず、寄ってたかって女の子の命を奪ってしまったようなものだ。きのうは母親のなぎさ容疑者も暴行に関与したとして傷害の疑いで逮捕された。当日は自宅にいたのにもかかわらず黙認していたらしい
▼かつて筆者を石炭庫から出してくれたのは母親だった。女の子にとっても母親は最後の頼みの綱だったろう。激しく殴られ、冷水を浴びせられ、その上母親からも見捨てられた女の子の絶望はどれほどだったか。大人たちの責任は重い。