落語の枕でこんな一節を聞くことがある。「親ばかちゃんりん そば屋の風鈴」。落語好きの方なら言葉の響きに覚えがあろう
▼由来は江戸の昔にさかのぼる。当時、まともなそば屋は粗悪なそば屋と間違われないよう、屋台の四隅に風鈴をつるしたそうだ。当たり前だが冬にもうるさく鳴る。いかにもとんちんかんで風情も何もない。それを子どもかわいさのあまり愚かな振る舞いをする親ばかと結び付けたらしい。かくのごとく親ばかは、どこか憎めないところもあるがやはり愚かさが先に立つ。ところで最近、憎めないどころか掛け値なしで素敵な親ばかを知ったので紹介したい。その人は都竹淳也飛騨市長である
▼最重度の知的障害のある自閉症児の親だという。「岐阜新聞」のコラム「素描」に投稿した自身の記事をフェイスブックに載せていた。それを読むと次男の障害が分かったのは2歳のころで、今は特別支援学校の中学部に通っているそうだ。「困難なことも多いが、我が子はかわいい」と記す。自分も変わったという。「次男のいいところはどこだろうと毎日見ているうち」「弱い立場の人たちを意識するようになり」「厳しい状況にいる人たちを助けたいと強く思うようになった」
▼現在、市は子ども子育てやLGBT(性的少数者)分野で全国最先端を走る。なぜ頑張れるのか。「それは次男が私をしてなさしめたことであり、この子が世の中のお役に立てたことになるからだ。このことだけは徹底して親ばかでありたいと思う」。飛騨市の風鈴の音はそば屋とはひと味もふた味も違う。