日本は「言霊(ことだま)の国」であるとよくいわれる。言霊とは言葉それ自体に魂がこもり力を持つことをいう。超自然の部分は別にしても、日本人が古くから言葉を大切にしてきた証しだろう
▼詩人の大岡信さんが随想「言葉の力」で、言葉の本質に触れていた。大岡さんはこう記す。「ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたときに同じように美しいとは限らない」。それはなぜか。「言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにある」からだそう。背負うものによって同じ言葉が美しくもなれば醜くもなる。さて、この言葉はこれからどんな日本を背負うのだろう
▼きのう、新元号が「令和」に決まった。日本最古の和歌集『万葉集』の「梅の花の歌」の序文「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」が出典だという。「明日への希望」とともに伝統や文化、自然を次代に引き継ぎたいとの願いが込められているそうだ。驚いたのは「大化」以来247元号一貫して引用は漢籍からだったのが、初めて日本の古典になったこと。時代の転換点と見た人も少なくなかったのでないか
▼古来、日本は元号の言葉の力を利用し社会に形を与えようとしてきた。ただ「令和」に託された願いがどんなに立派であっても今は単なる言葉。何を背負わせるかはわれわれ次第である。できれば幸福をどっさり背負わせたいものだが。