激動の19世紀後半から20世紀初頭にかけて、世界を動かしていた人物たちは何を考えていたのか。その肉声を集大成した『インタヴューズ』(文藝春秋)という本がある。本編もさることながら、序文に書かれたある種インタビューの本質に触れる一節が面白い
▼識者のこんな意見が紹介されているのである。「彼(インタヴュアー)は、嘘つきと偽善者を作りだす潜在能力において、他のだれにも引けを取らない」。インタビュアーは事前に想定した通りの物語に仕立てようとし、答える側は自分に都合のいいことしか話さない。そう言いたいのだろう。これまで多くの人にインタビューしてきた者として耳が痛い
▼今回の国会の代表質問を見て、その意見を思い出した次第。例えば7日の枝野立憲民主党代表の質問である。台風15号を巡る政府の対応や関西電力役員の金品受領、あいちトリエンナーレへの補助金不交付など、どれも最初から政府は責任を果たしていないとの結論ありきで話が出来上がっていた。安倍首相の答弁も案の定、通り一遍のものでほとんど耳に残らない。枝野氏は質問後の会見で「日本語が理解できてないんじゃないか」とやゆしていたが、インタビュアーとしての力不足を自覚した方がいいのでないか
▼一方で林自民党幹事長代理は政府をほめるだけで、安っぽいCMを見せられている気分になった。こちらも到底有能なインタビュアーとはいえまい。国会の小さなコップの中でいがみ合っているからこういうことになる。国民は物語を聞きたいのではない。事実を知りたいのだ。