幕末のころ、軍艦奉行の勝海舟が尊皇攘夷を掲げて京都に攻め上ろうとする長州と幕府の調停に乗り出したことがある。談判のため単身京都に入った勝が会合場所で待っていると、長州方がやってきた
▼血で血を洗う抗争を繰り広げている両者である。刃傷沙汰になってもおかしくない。ところがそうはならなかった。勝は『氷川清話』でこう振り返っている。「談判といっても訳はなく、とっさの間にすんだのだ」。勝のやり方はいつも明快である。胸襟を開いて「赤心(まごころ)」を伝え、相手にとって利のある話を理をもって説く。このときも談判は和やかに進み、交渉はすぐにまとまったという。「正心誠意」を信条とする勝の面目躍如である
▼こちらの電撃会談も時間はわずか11分とずいぶん短かったようだが、成果はどうだったのか。東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議のためタイのバンコクを訪れていた韓国の文在寅大統領が安倍首相に声を掛け、予定にはなかった対話が実現したそうだ。いわゆる「従軍慰安婦」問題や「徴用工」訴訟を巡り、悪化する一方の日韓関係である。日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)失効も23日に迫り、米国から責められる文氏としては事態を打開する必要があったのだろう
▼ちなみに勝がまとめた先の合意は、幕府と長州の対立が激化の一途をたどる時代状況の中では役に立たなかった。今回も文氏がいくら言葉で「赤心」を語り、安倍首相が日韓関係の重要性を認めたとしても、韓国が日韓請求権協定を順守しない限り関係の改善は望めまい。