テレビ時代劇では、お白州での裁きが一つの見せ場となっているものが多い。奉行が隠されていた真実に光を当て、黒幕を引きずり出す。悪事の限りを尽くした下手人に対する判決はたいてい「市中引き回しの上打ち首獄門」だった
▼つまりは死刑だが、執行される前と後にさらし者にされることで刑の重さが際立つ。悲惨な末路を見せることで犯罪の抑止を狙うとともに、庶民の処罰感情にも配慮していたのだろう。2012年に男女2人が刺殺された大阪・心斎橋の通り魔事件で最高裁は2日、44歳の被告の男に出されていた1審の死刑判決を破棄。2審の無期懲役が確定した。1審が社会常識に照らして刑罰を判断する裁判員裁判だっただけに、割り切れぬ思いが残る
▼最高裁が考慮したのは「犯行には覚醒剤中毒の後遺症による幻聴が影響した」ことや、「場当たり的で計画性が低い」こと。どちらも遺族にとって納得できる理由ではあるまい。むしろ身勝手な被告に対し処罰感情が高まるばかりでないか。死刑廃止を目指す日本弁護士連合会が10月に啓発パンフレットを作成していた。そこで死刑制度の問題を次の3点にまとめている。「生命の尊重」「誤判・えん罪の危険」「人は変わりうる」。この事件を通して見るとどこか空しい
▼最高裁は判決で「死刑は究極の刑罰のため適用には慎重でなければならない」と述べたという。もっともである。ただ、現行法に規定のある死刑を殊更避けようとの意図がもしあるならそれは釈然としない。庶民感覚を生かす裁判員裁判の理念にも反していないか。