近頃はそうでもないが、日本には人品骨柄に関係なく一年でも早く生まれると先輩として後輩を従わせる悪弊があった。文学界も例外ではなかったらしい。太宰治も随筆「如是我聞」で、ある先輩をこう批判している
▼「先輩というものは、『永遠に』私たちより偉いもののようである。彼らの、その、『先輩』というハンデキャップは、殆ど暴力と同じくらいに荒々しいものである」。うなずく人も多いのでないか。早く生まれただけで先輩という有利な立場に立てるのだからこんな楽なことはない。その甘い汁を捨てようとは終生考えもしないだろう。今回の不祥事もそんな旧態依然とした先輩後輩関係の中から生まれたとみて間違いない
▼総務省の鈴木茂樹前事務次官が日本郵政に天下っている同省の先輩、鈴木康雄上級副社長に情報を漏らした件である。かんぽ生命保険の不正販売でグループの役員刷新が避けられないため、鈴木副社長はその行政処分内容など内部情報を後輩に提供するよう求めたようだ。役員の辞任があれば席が空き、新たな天下りを受け入れられる。人事掌握は組織内で権力の源泉。この情報提供はOBにとっても現役にとっても悪い話ではなかったのだ。後輩としてもいずれ郵政の役員に就任して悠々左うちわ、との思いがあったのかもしれない
▼第一生命の『サラリーマン川柳』に以前、こんな作品があった。「追い越すな先輩は急に進めない」駄馬サラ。席を譲ってもらうためには黙って先輩に従わねばならぬ。今回の件では国益より省益が優先された。そこが一層荒々しい。