きょうから6月である。冬と夏を行ったり来たりと定まらなかった服装も、ようやく夏物に落ち着くころだ。以前読んだ札幌出身の小説家森田たまさんの随想「衣がえ」を思い出す。こんな一節があった
▼「つつましやかに自然とともに生き、自然の中に暮らしてきたわれわれは、春の花咲けば汚れた綿入れをぬぎ、初夏の緑の下に初あわせの軽きをよろこび、六月一日からは寒かろうと暑かろうと単衣ものを着る」。本道は急に暑くなった。ストーブのつまみをいきなり大にされたようで体がついていかない。とはいえこれでようやく冬物を押し入れの奥にしまったり、お役御免の服を捨てたりできる。「思ひ切り捨てて身軽に更衣」天野照子。夏物を着ると心まで軽くなるから不思議である
▼安倍首相が先日の記者会見で述べた「コロナの時代の新たな日常」も、きょうからがいよいよ本番だろう。いわば対応策の衣替えである。これまで通り感染拡大を防ぎながら、可能な限り社会経済活動を元に戻していく。イベントや文化施設が再開され、観光地も開放、飲食店は通常営業と形だけはコロナ前に近付く。ただ装いは全く変わる。密接、密集、密閉を避け消毒を徹底。さらにマスク着用となればサービスはもちろん、集客や売り上げにもかなりの影響が出よう。世界的感染爆発ゆえ製造業の業績もすぐには回復しまい
▼残念ながらこの新たな日常は、始めてみなければ分からないことばかりである。「更衣してやはらかき風にあふ」新山芳子。しばらくはそう願いながら前に進むしかないのかもしれない。