義理堅い人柄や数奇な運命に翻弄(ほんろう)された一生に心を動かされてのことだろう。戦国武将の一人、浅井長政の人気は今も高い。劇的な最期もまた長く記憶にとどめられる理由である
▼こんないきさつがあったという。美濃の斉藤道三を討ちたい織田信長が長政に同盟を持ち掛け、長政はこれを受諾。ところが協力関係は長く続かなかった。利用した揚げ句、天下取りを狙う信長があっさり裏切ったのである。信長は長政の本拠地小谷城に攻め入った。長政は豊臣秀吉の数度にわたる降伏勧告を退け、籠城して徹底抗戦。攻撃が激しさを増し家臣が次々と逃げ出す中、最後まで雄々しく戦い、城と共に散ったそうだ
▼それを思い出したのは、分党を発表した玉木雄一郎国民民主党代表の11日の記者会見を見たからである。立憲民主党との合流を進めるための手続きとはいえ解党はいわば負け戦。悲壮感が顔からにじみ出ていた。ただ、玉木氏自身は合流には参加せず、党と運命を共にすることにしたという。立民に野党共闘を持ち掛けられ、気付けば家臣を奪われていたといったところか。くせ者ぞろいの党をついにまとめきれなかった玉木氏らしい話である。とはいえ当初から基本政策が一致しない中での合流は野合と断じていた。一国一城の主として筋は通したのでないか
▼長政に一首がある。「けふもまた尋ね入りなむ山里の花に一夜の宿はなくとも」。宿はないが、きょうも花を探しに山へ向かうと歌っている。玉木氏もそのつもりだろう。首相の揚げ足取りに終始しない、骨太の野党を見たい。