古代ギリシャの哲学者ソクラテスが「悪法も法だ」と理に反した裁判結果を受け入れ、極刑に処されたのはご存じの通り。批評家の東浩紀氏がエッセー「ソクラテスとポピュリズム」で、そのあたりの事情について分かりやすく触れていた。東氏流に言うとこうだったという
▼「ソクラテスにむけられた非難は要は、おまえはなんか怪しい、嫌なことをいう、みんなの空気に水を差す、だから死ねというものである」。犯罪の確たる証拠があったわけではない。うわさによる大衆感情の暴走が招いた悲劇だったのである。昔は知的水準が低かったからと笑ってはいられない。今でもこういった例は世間に幾らでもある
▼先週、寿都町が高レベル放射性廃棄物最終処分場の文献調査に応募を検討しているとの報が流れた時の周囲の反応もそうだった。内容を精査することもないまま、すぐに各方面から非難や反対の声が上がったのである。道も特定廃棄物に関する条例を盾に暗に撤回を要請したようだが、拙速だろう。地層処分技術は現在、国際的にほぼ確立されている。残された問題は適地だ。10万年の管理を想定しているとはいえ、毎時1500シーベルトある放射線量は1000年でおよそ1000分の1に下がる。天然のウラン鉱山の危険性と比較考量できる範囲でないか
▼何より既にある核廃棄物をどうにかする必要があろう。調査も許さないというのは、科学的でも論理的でもない。感情の暴走である。できるだけ多くの地で調査し確かめるのが良策だ。でないと日本に適地があるのかないのかさえ分からない。