よく聞く言葉で意味も分かっているのに、つい陥ってしまいがちなのが「木を見て森を見ず」の思考のわなだろう。神ならぬ人間の悲しさである。どうしても目の前の出来事だけにとらわれてしまう
▼バブル崩壊後に金融機関が不良債権で瀬戸際に立たされたときのことを思い出す。公的資金を投入して救うべきかどうかの議論が沸騰し、マスコミとそれにつくられた世論が資金投入による救済に大反対したのである。乱脈融資で不良債権を積み上げた金融機関を税金で助けるなどけしからん、というわけだ。投入は見送られた。どうなったか。金融機関が破綻し多くの会社が倒産。不良債権処理も結局長引いた。「森」を見て最初から一気に公的資金を投入していればその後の長期低迷は避けられたのだが
▼政府が先週決めた追加経済対策もマスコミ受けが悪い。新型コロナウイルス対策なのに総額73兆6000億円のうち感染拡大防止が5兆9000億円しかなく、全体に財政規律も緩んでいるとの指摘である。感染防止とほぼ同額の5兆6000億円を国土強靱化に割くのを疑問視する新聞もあった。「森」が見えていないのでないか。直接的な感染防止だけでなく失われた民需を埋めるのも重要なコロナ対策だ
▼バブル崩壊後、多くの人が職を奪われ街に放り出された。数年して自殺者が急増したのはご存じの通りである。今また、人の交流激減の直撃を受けた業種で同じ事態が起きつつある。ここは民需の欠落を公共でしっかりと埋めたい。ウイルスのみ気にして生活の糧を見ないと将来に禍根を残す。