子どものころに百人一首で遊んだことがある、という人は多いのでないか。当方もその一人である。歌の意味は分からなくとも、音の響きと筆文字の形を覚えてしまえば、あとは普通のかるたのように楽しめるのだ
▼その中に清少納言の父清原元輔の歌があった。「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」。今の言葉にすると、「二人で泣きながら永遠の愛を誓った」といったところだろう。言わずと知れた恋歌だが、注目したいのは「末の松山 波越さじとは」の部分。末の松山とは宮城県多賀城市の海岸近くにある丘陵地で、どんな大きな津波が来ても水に漬からない所とされていた。永遠の愛を語りながら自然災害に対する知恵も織り込んでいたのである
▼詠まれたのは951年。やはり東北地方太平洋側で大津波が発生し、大きな被害が出た869年の貞観地震が歌の背景にあったとみられている。平安時代も人々が自然災害を身近に感じていたことを示す貴重な証拠といえよう。さらに遡り、文字も何もない縄文時代あたりになるともう自然災害の歴史を知るすべはないのだろうか。そんなことはない。考古学がその仕事に当たっている
▼『北海道の防災考古学~遺跡の発掘から見えてくる天災』(みつ印刷)に教えられた。発掘調査で明らかになった大昔の地震や津波、洪水の痕跡をまとめた労作である。天災は繰り返す。できるだけ古くからの歴史を押さえておくに越したことはない。危険な場所が特定されると、安全な「末の松山」もおのずから浮かび上がってこよう。