この上なく義理堅いことを律儀というが、小説家の角田光代さんは桜の中にも同じ性格があるのを感じるという。それはこんな経験からきているそうだ
▼東日本大震災直後の2011年4月に東北の太平洋沿岸地域を歩いたときの話である。町はなくなっているのに桜が満開に咲いていた。「何があっても桜は咲くし、そのことは当たり前のことではなくて、とても不思議なことなのだ」。エッセーにそう記していた。桜はことしもその律儀な性格を遺憾なく発揮している。ただ、この春はさらにせっかちさも加わっているようだ。どの地域も開花が平年より相当早い。皮切りとなった高知県宿毛が今月10日で13日差だったのをはじめ、東京が14日で12日差、京都が16日で12日差といった具合
▼そこで気になるのは本道だ。日本気象協会の開花予想によると、やはりこちらも早くなるらしい。先陣を切る松前が4月22日で6日差、札幌が26日で7日差、稚内が5月5日で9日差といったところ。早出早上がりである。平年との違いは開花時期だけではない。2年続けてコロナ禍の下での花見となる。とはいえ本道の場合、1週間早いと寒くて外での宴会はできまい。感染拡大防止の観点からは幸いというべきか
▼角田さんの話は続く。「変わり続けるしかない私たちの暮らしに、そんなふうに変わらないものがあるということは、ときに私たちを救うのではないか」。コロナ禍の下では一層切実に響く。たとえひとときでも見ている間は明るい気持ちになれる。ことしものんびり歩きながら満開の桜を楽しみたい。