里山にはどこか郷愁を呼び起こす趣があるようだ。街で生まれ育った人でもその風景にはなぜか不思議と懐かしさを感じる。毎日の暮らしと密接なつながりを持つ里山に親しんできた人はなおさらでないか
▼国木田独歩もそうだったらしい。故郷への募る思いを詩『山林に自由存す』にこうつづっていた。「山林に自由存す われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ 嗚呼山林に自由存す いかなればわれ山林を見すてし」。山林と聞くといささか雅趣に欠けるが、里山のことである。独歩は故郷を離れて10年が過ぎたころ、自分が世間のしがらみに縛られている現実に気付いた。かつて自由に駆け回った山林を喪失感とともに懐かしく思い出したに違いない
▼独歩はじめ多くの人の愛した里山だが、最近は消滅に一層の拍車が掛かっているそうだ。太陽光発電所にどんどん埋められているのである。国立環境研究所が初の調査を実施し、太陽光発電による土地改変で最も失われたのは里山だったとの結果を先日発表した。施設は国内に8725カ所あり、面積は合わせて229平方㌔mに達する。その66%が10㍗以下の中規模型。二次林・人工林、人工草原、水田、畑といった里山地域での設置がほとんどを占めるという
▼同研究所は身近な自然や生態系を損なっていると警鐘を鳴らす。昨今は不良施工によるパネル崩壊や土砂流出も目立つ。業者に環境影響評価を課す自治体も出てきたが、国はいまだ見ないふり。太陽光発電の健全な発展には適切な設置管理が必要だろう。「山林にパネル存す」では風情がない。