公開当時、若者に人気を博した邦画に『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)がある。不治の病で命を落とした女子高生アキと、同級生朔太郎との切ない恋愛が評判を呼んだ
▼歌手平井堅さんが担当した主題歌『瞳をとじて』も喪失感と愛情の間で揺れる男性の心情を描いた名曲だった。歌詞にこんな一節がある。「いつかは君のこと なにも感じなくなるのかな 今の痛み抱いて 眠る方がまだ いいかな」。理不尽な運命に大切な人の命が奪われた。過去を記憶の底に沈めた方が楽なのかもしれないが、痛みがどれだけ強くとも忘れない方を選ぶ。愛情の深さゆえの決断だろう。東京の池袋で19年4月に発生した自動車暴走事故により、最愛の妻と幼い娘を亡くした松永拓也さんも同じ気持ちでないか
▼簡単に心の整理ができない事情もある。2人の命を奪い自動車運転死傷行為処罰法違反に問われた90歳の男は、街中を時速約96㌔で暴走した理由を車の不具合とし、自らの過失を一切認めていないのだ。この事故では他に9人が負傷。事故車両を解析した結果、異常は見つからなかった。男がパニックに陥りアクセルとブレーキを踏み間違えた疑いが濃厚だが、男はその可能性を一顧だにしない
▼松永さんは21日の公判で被害者参加制度を使い、直接被告を問いただした。男の答えは「私の過失はない」だ。裁判ゆえ無罪主張も当然。ただ、自らが起こした事故の重大さに比べあまりにも言葉が軽い。松永さんは妻と娘の名も質問したが男はうろ覚え。松永さんの抱える痛みなど、どこ吹く風らしい。