日本海に面した海辺の村で生まれ育ったからだろう。童謡詩人金子みすゞには、何気ない日常の体験から生まれた海の心象風景をつづった作品が多い。「おさかな」もその一つである
▼「海の魚はかわいそう。お米は人につくられる、牛は牧場で飼われてる、鯉もお池で麩を貰う。けれども海のおさかなは、なんにも世話にならないし、いたずら一つしないのに、こうして私に食べられる。ほんとに魚はかわいそう」。なるほどそんな視点もと、魚を思いやるみすゞさんの感性に胸を打たれる。ただ、逆に考えるとこれは魚に不自由のない生活だからこそ生まれた詩でないか。本道もかつてはそうだったが、昨今はだいぶ事情が変わってきた。おなじみの魚が揚がらないのである。食べてかわいそうと思いたくてもその魚がいない
▼7月に解禁された道東沖のサンマ流し網漁が、漁期の9月末を待たずに打ち切りになるもようだという。1カ月たっても全く水揚げがなく、採算の取れる見通しが立たないためである。サンマだけではない。高級なサケとして知られる釧路沿岸のトキシラズも姿を消しているらしい。こちらも水揚げは前年の1割ほど。状況は深刻だ。いったい海に何が起きているのか
▼水産庁は6月、地球温暖化による海水温上昇が関係しているとの見方を初めて示した。今回の不漁はそれを証明した格好だ。「なんにも世話にならない」魚がどんどん取れる時代ではない。飼ったり育てたり見守ったり、人が手を焼かねば魚は食卓に上らなくなる。今ならみすゞさんの心も少しは軽くなったかも。