谷川俊太郎さんの最新詩集『どこからか言葉が』(朝日新聞出版)を読んでいて、「はらっぱ」の詩に目が止まった。全てひらがなで書かれた一編は見た目優しいが、言葉は驚くほど重い
▼子どもらが原っぱで遊んでいる風景にこんな一節が続く。「おとなはわらいながらそれをみまもる それをえにかく うたにする おはなしにする それからそれをおもいでにして せんそうをしによそのくにへでかけていく」。どこの国へ行ったのか、何のための戦争かは記されていない。ただ、次の場面では子どもらが同じ原っぱで目の覚めぬ眠りについていて、大人たちは二度と戻ってこなかった。日常の中に潜む狂気と、圧倒的な悲しみが伝わってくる
▼きょうは広島の「原爆の日」。ことしも太平洋戦争を思い出し、戦争のない世界の実現に向け誓いを新たにする季節が巡ってきた。戦後76年だが過去を忘れてはいけない。御年89歳の谷川さんが昔見た光景を元に今なお詩を作り続ける理由もそんなところにあろう。ことしは東京オリンピックと重なった。こちらも平和について考えるのには格好の材料である。今大会でも米国と中国、サウジアラビアとイスラエルといった普段は緊張関係にある国の選手同士でエールを交換する様子が見られた。平和な世界を先取りした姿だろう
▼200を超える国と地域の人が垣根を越えて集まるオリンピックは、いわば世界の「はらっぱ」。今のところこれを思い出に戦争をしによその国へ出掛けていく動きはなさそうだ。いつまでも平和が続いてほしいと慰霊の日に願う。