江戸時代も終わりに近い1853年、熊本県小国町で生まれた子どもが将来、伝染病治療を大きく発展させる世界的医学者になるとは当時誰も想像しなかったろう。近代日本医学の父と呼ばれる北里柴三郎博士のことである
▼博士は東大医学部卒業後、卒業生に約束されている名誉職の道を潔しとせず、国民のために働きたいとあえて内務省衛生局に入局。〈医者の使命は病気の予防にあり〉の信念ゆえの決断だった。86年にドイツ留学の夢がかない、細菌学の第一人者コッホに学んだ。寝食を忘れて実験に没頭し、破傷風菌の純粋培養に成功。毒素を消す抗体も発見し、血清療法を開発した。この画期的療法は他の伝染病にも広く応用が効き、多くの人の命を救うことになる
▼そんな博士でもまだ新しい方で、細菌やウイルスと人との戦いの歴史は古い。古代ギリシャの医師ヒポクラテスが破傷風の臨床例を書き記しているほどである。新型コロナウイルスとの戦いも、いつかそんな記録の一つとなるに違いない。もどかしいのはそれがどれくらい先か、渦中にいるわれわれには分からないことである。ともすれば希望をなくしそうになるが、北里研究所には博士が友人に語ったこんな逸話が残っているそうだ
▼「よく世の中が行き詰まったという人があるが、これは大きな誤解である。世の中は決して行き詰まらぬ。若し行き詰まったものがあるならば、是は熱と誠がないからである」。諦めてはいけないとの戒めだろう。ことし、没後90年。道なきところに道をつくってきた博士の言葉は今も古びていない。