日本の木造建築は、その起源をたどると縄文時代の竪穴式住居までさかのぼることができる。手近な木材を使い、柱を立てて桁を渡し、梁を架けることで内部に空間を得る形式はここから始まった
▼ただ、時代を経るに従い洗練されていったのも確かで、一つの到達点が伊勢神宮の正殿だったとされる。柱や梁で組み上げる基本構造は現代も変わらない。気候風土に深く根付いた伝統建築は日本の誇るべき技術だろう。戦後建築の第一人者丹下健三はそんな伝統建築には、力強さと停滞の二つの側面があると見ていた。『丹下健三建築論集』(岩波文庫)に一文がある。「消極的姿勢を克服し、否定することによってはじめて日本の伝統の中に獲得された方法、あるいはその方法的成果を、創造的に継承してゆくことができる」
▼完成しているが停滞もしている日本の建築技術を前に進めるには、否定の論理が特に重要と考えたのだ。氏が試行錯誤の末、生み出したのが1958年に竣工した香川県庁舎東館だった。その庁舎が先頃、米ニューヨーク・タイムズ紙が発行する雑誌の「戦後建築で最も重要な25の作品」に日本で唯一選ばれた。傑作と評されている。8階建てで柱や梁、ひさしといった軸組構造の意匠を打ち放しコンクリートで表現。建物保護の機能も持たせた
▼耐震壁を中央に置いて大空間を作り、内部の流動性を高めたのも大広間からの発想か。それでいて庭やロビーは自由に交流できるよう伝統建築にはない開放的な場としている。縄文から連綿と続く建築を創造的に継承した技術の粋である。