封建時代の気風がまだ色濃く残る明治中期には相当に勇気のいることだったろう。歌人の与謝野晶子は作品で女性の奔放な側面をおおらかに描き続けた。歌集『みだれ髪』が殊によく知られる
▼私生活もそのままだったらしい。既に結婚していた与謝野鉄幹に恋をし、不倫関係に陥った末、ついに自分のものにしてしまったのは有名な話。現代なら週刊誌やテレビのワイドショーが〝略奪婚〟と騒ぎ立てるに違いない。そんな情熱的で一途な晶子の性格が表れている詩に「恋」がある。前段を引く。「わが恋を人問ひ給ふ。わが恋を如何に答へん、譬ふれば小き塔なり、礎に二人の命、真柱に愛を立てつつ、層ごとに学と芸術、汗と血を塗りて固めぬ。塔は是れ無極の塔、更に積み、更に重ねて、世の風と雨に当らん」
▼秋篠宮家の長女眞子さまと婚約内定者の小室圭さんが年内に結婚されるとの報に触れ、この詩を思い出した。眞子さまも世の風と雨に当たるのをいとわず、2人の恋を押し通すことにしたようだ。物静かで聡明との印象だが、情熱的で一途な面もおありらしい。金銭問題を抱える小室さんとの結婚に反対する人が多い中での決断である。皇籍を離脱し一時金も辞退、婚約や結婚の儀式もしないという
▼先の詩はこう続く。「猶卑し、今立つ所、猶狭し、今見る所、天つ日も多くは射さず、寒きこと二月の如し。頼めるは、微かなれども 唯だ一つ内なる光」。眞子さまも二人の立つ所が寒きことは誰より承知していよう。それでも内なる光を信じて進むと決めたのだから、後は見守るほかない。