発足直後の明治政府は政策が行き当たりばったりだったらしい。これでは国政を誤ると、数字による国勢の実態把握を訴えたのが大隈重信と福沢諭吉である
▼福沢は「スタチスチク」の言葉を用いて統計の有用性を広く説いた。『文明論之概略』に分かりやすい例を記している。「英国にて毎年婚姻する者の数は穀物の価に従い、穀物の価貴ければ婚姻少なく、其価下落すれば婚姻多く、嘗て其割合を誤ることなし」。穀物の価格と婚姻数。それぞれをただ漫然と眺めているだけでは、誰もその関係に気付かない。福沢はこう指摘する。「此と彼とを比較するに非ざれば真の情実を明にするに足らず」。データを積み重ね、分析して初めて事実が姿を現す
▼そんな明治以来の崇高な理念はどこへ行ったのか。目的が都合の悪い現実を隠すためでなかったとしても、ずさんな統計管理を8年も続けていたのは恥ずべき行為といわざるを得ない。国土交通省が「建設工事受注動態統計」で不適切な集計を繰り返していた。期限までに業者から提出がなかったときに推計値を計上し、提出後、さらにその数字を加える二重計上が常態化していたという。受注額が過大になっていたわけだ
▼組み込まれたGDPの信頼性を懸念する声も上がっているが、同統計は全建設業許可業者47万者から1万2000者を抽出して実施する調査で、不正も一部のため影響は限定的だろう。ただ建設行政の基礎資料となるだけに、数字がゆがんでいれば間違った政策を招きかねない。福沢の厳しい叱責が聞こえる。「それでも文明人か」。