子どもとはどういう存在か。簡単なようで案外難しい問いである。児童学者の本田和子お茶の水女子大名誉教授は『それでも子どもは減っていく』(ちくま新書)にこう記していた
▼「純粋に〈私的所有物〉であり得るのか、否か。あるいは、産まれてきた子どもは、すべて〈公共的財産〉とみなして、その養育の責任を国家社会が負うべきものか、否か」。要は親だけのものか、社会全体のものかということだろう。「統一的な答え」はいまだ見つかっていないと本田さんは指摘する。考えてみると確かにどちらか一方の性質に押し込めるのは適切でないようだ。そこで、産む決断は個人に任せるが、養育については国家社会も責任を負う今の折衷的対応が定着したのだとか
▼その話を思い出したのは「内密出産」の報に触れたからである。初めて聞く言葉だった。病院以外には身元を明かさずする出産だという。熊本市の慈恵病院が4日、10代の女性がこの形式で出産したと明らかにした。国内初の事例だそう。慈恵病院は親が育てられない子を匿名で託す「赤ちゃんポスト」の設置でも知られる。内密出産に法的な裏付けはないが、妊婦の孤立を防ぎ赤ちゃんの命を守るため数年前から導入していたそうだ
▼今回は相談を受けていた女性を駅で保護し、翌日には出産。ぎりぎりの状態だったらしい。女性が〈私的所有物〉だからと早まらず本当に良かった。内密出産の試みと公的保護制度があったおかげだろう。赤ちゃんは国の宝。あらゆる手段で守る必要がある。難しい話はさておき、まずはおめでとう。